窯場案内

坪島圡平は半泥子の愛弟子で、青年期に半泥子とともに作陶に励み、その精神を受け継いで、半泥子没後も約50年間にわたり、仙鶴窯(旧 廣永窯)の火を守ってきました。

半泥子の時代から「幽照館」と呼んでいた建物を全面改装し、坪島圡平記念館とし、現在は圡平作品を展示しております。また、その中に、坪島圡平が「陶斎」(陶器を創作する書斎の意味の造語)と呼んでいた創作現場を再現しております。

「幽照」は、半泥子が名付けたもので、彼の好きな言葉でした。この言葉を、銀行経営での貯蓄増強の「優勝」になぞらえたりして、茶目っ気たっぷりに使っていました。

記念館入り口上部の「幽照」の扁額は、半泥子の書です。

また、入り口の「坪島圡平記念館」の陶板は、百五銀行元会長の上田豪氏による書を陶板にしたものです。

坪島圡平の「土」には【﹅(点)】が入ります。